家族と海とマイメモリーズ
私の記憶の中で、最初に海が登場するのは、
両親と行った釣りの思い出。
その記憶には風にしぶきをあげる褐色の波と、漁港らしき小さな防波堤が、ややピア色がかった写真のように少し色あせた感じで揺れている。
季節は冬、ちょうど今ごろの季節だというのが、もう1枚の記憶からわかる。
もう1枚の記憶には釣った魚が姿揚げになって大きなお皿に載っている。
冬場が旬の魚、カレイだ。
手のひらサイズ。
この記憶には、6歳年の離れた弟が出てこないから、
たぶん私が4・5歳ぐらいのはずだ。
記憶の中の手のひらサイズはさしずめ10cmに満たないくらいの大きさだろう。
食いしん坊だった私の記憶には生きた魚ではなく唐揚げの魚だというのも笑える話だ。
こんなエピソードもある。
良く連れて行ってもらった水族館。
両親の話では、周りの子供たちが「この魚は何?あの魚は?」と名前を聞いているのに、私はといえば
「この魚は美味しいの?あの魚美味しそうね。食べたいね」などと、両親は私を連れえ歩くのが恥ずかしかったそうだ。
今でも私が子供の頃の話になると、この話を引き合いに出だして嬉しそうに笑う両親がいる。
弟のことが私の海の記憶に強く焼きついているのは家族で行ったキャンプ。
私が小学生で弟が5歳くらいだと思う。
小さな砂浜と右手には礒。
海で泳いだ記憶は無いから春ごろだろうか?私は、少し離れた水道に水汲みを任された。
お手伝いの枠を越えた責任ある仕事を任されたことでテントまでの道のりを重たい水も誇らしげに胸を張って運んだ記憶がある。
キャンプの準備が終わると、父はつり竿を持って砂浜へ。
私と弟とは、ちょうど引き潮で潮溜まりの出来た礒へ。
家では弟にテレビのチャンネルを奪われる私も、この時ばかりはたどたどしい足取りの弟を引き連れて、探検隊の隊長気分。
小魚やカニやヤドカリ。
きれいな色のイソギンチャクやウニと、潮溜まりは、まるで海のミニチュア。
私の愛読書だった海の生き物図鑑でしか見た事が無い生き物がいっぱい。
と、その時。
弟が岩につまずいて潮溜まりにザブンと落ちてしまった。
水深は腰の高さほどで、溺れるということは無かったけれど、立ち上がった弟の手のひらからは血が滲んでいる。
やっとのことで潮溜まりから引き上げたが、上がる時岩にこすったのだろう、膝からも血が流れて、眼からは、ぼろぼろこぼれる大粒の涙。
「痛いの痛いの飛んでいけ」という万能のおまじないも、足が痛くて歩けないとダダをこねる弟には全く効果が無くて困ってしまった。
しかし、両親にしかられるのが怖くて助けを呼ぶに呼べない私は、弟をおぶって戻ることにした。
やっとの思いでテントにたどり着いた私たちを見て、母親は怒るどころか、「さすがはお兄ちゃんね」と誉めてくれた。
意外な母親の反応にきょとんとする私を尻目に、弟の傷を確かめて、「大丈夫、海の怪我はすぐ治るのよ」と弟の涙を手でぬぐう母親の後ろ姿を、妙に大きく感じた記憶がある。
そこでキャンプの記憶は途切れているけれど、今思い返してみると、あの経験で責任感とか兄としての自覚とかを学んだような気がする。
海、それは家族との大切な思い出の場所。
私の成長に大きな役割を果たしてくれた場所。
そしてこれからもずっとずっと。